26年前のクラウドコンピューティング

帰りの電車の中でふと、どうでもいいことを思いついた。

クラウド流行ってるよな−。 そういえばクラウドコンピューティングを Crowd Computingと勘違いしていたやつって俺ぐらいだったんだよなー(※ 下記参照)。。。。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&q=%22Crowd+Computing%22&lr=lang_ja

そういえば、Crowd Computing っていえば遙か昔、テクノポリスNECがイベントやっていたなあ。人間コンピューターを.。あれって、Crowd Computing じゃん」


人間コンピュータ。 今は無きパソコン雑誌テクノポリスが1983年夏休みの企画としてやっていたのだよな。 人間将棋のコンピューター版。 日比谷の当時のNEC C&Cプラザでやっていたんだった。 PC6001 のアセンブラレベル動作を人間がビット代わりになってやるのだった。
参加したかったのだけど締め切りすぎていて、当日東京見物ついでに日比谷で見ていたのだった。

古いアルバムを開いてみると、あったあった。




「世界初」って... こんな事考えつく人いないわな


まさにクラウド(Crowd) コンピューティング

1983年は、8bitマイコンの全盛期で小中学生もマイコンでプログラムを入力してゲームを遊んだりなんてそんな時代でした。 ちょうど今の小中学生がカードゲームで頭使っているのと同じようなノリかなあ。


久々にアルバムと一緒に、当時のカタログもひっくり返してみたら懐かしいものが。



電電公社ですなあ。 この岡本太郎のテレカ、バブル時代には何十万円の値段がついていたはず。



中川大臣も真っ青なやすし師匠。 テレビスクランブルでへべれけえでしたなあ。 隣はこれまた問題児の木村一八。「勝つ快感」



松下電器のJRシリーズ。 「充実の周辺機器」ですが、ただのテレビとカセットレコーダー。当時は普通の装備でしたな。 カセットで1200ボーぐらいだったかなあー



時々今でもパソコン関連のBBSでネタにでる「ぴゅう太」。 トミー製のマイコンでした。


懐かしの80年代パソコンネタでした。