高木浩光さんの記事で懐かしい気分に

現在帰省中の高木浩光先生の記事
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080102.html#p01

いまやセキュリティ界、Javaプログラム界などで関係者ならだれもが認める大御所になっている高木先生の少年時代の思い出の記事。実家に帰省したときに昔使っていたマイコンマイコン雑誌に触れて当時の想い出を振り返っている記事がここ数日でています。

内容からして、私よりも数年年上だと思いますが、ほぼ同時代の体験が
あり、とても懐かしい。。。

というわけで、古いI/O誌を蔵からサルベージしてきて、全部に目を通すことに。
懐かしくて読みふけってしまった。なぜか一部がなくなっている。1981年4月号がない。それは最初に買ったI/O。中2の春休みに家族で名古屋に出かけたときにたまたま立ち寄った本屋で手にとって衝撃的に買ったものだった。地元の本屋では見つからず、5月号を買えなかったのを覚えている。6月号は隣の駅の町まで行って探して買ったのだった。その数か月後には地元の本屋にも入荷されるようになった。このころが流行の兆しだったのだろうか。9月号と12月号も見あたらないのだがこれは買っていたはず。
1982年10月号から厚さが変になっているのは、広告を取り去ったもの。ドライヤーで背の糊を溶かして広告部分を剥ぎ取り、表紙を貼り付けるという作業をやった。これをやらないと邪魔になるほどI/O誌は広告で激太りになっていったのだった。かなり売れていたのだろうか。発行部数はどのくらいだったのだろう?
1982年までがやたら手垢まみれになっている。むさぼるように読んでいた。1984年以降はあんまり読んでいなかったっぽい。1986年を最後に買うのをやめたようだ。

そうそう。 I/O は雑誌の2/3ぐらいが広告ということもあったなあ。84,85年頃は電話帳のようになっていたっけ。私も広告をはぎ取ったっけ。 なんどもなんども雑誌記事を読んでいたなあ。 私の場合は、 ASCII とI/O が愛読書でした。 I/O を86年頃に買うのをやめたというのも同じだ。。。 あのころは同じ雑誌を何度も読み返して、毎日18日が待ち遠しかったのだった。 で、そういう経験があるので今でも毎日18日になると、本屋のパソコン雑誌コーナーを除いて見るくせがついているな。もう買う本もないのだけど。

1984年10月号のBIOS(p.321)に読者アンケート(1984年7月号)の結果が載っていて興味深い。3012人の回答者の内訳が、小学生が4.9%、中学生が24.4%、高校生が27.8%、大学生、短大生が7.7%、大学院生が1.2%、コンピュータ技術者が3.1%、コンピュータ関係以外の技術者が12.9%、技術者以外の会社員が6.8%などとなっている。プロは読まないホビー誌ということだろうか。男性が99.3%で、女性が0.7%(19人)というのがすごい偏りっぷりだ。

ほとんど10代男子だったのか。私もメインターゲットだったなあ。

1981年7月号まではナイコン族で、芸夢狂人氏の「ルナシティSOS」「スネークワールド」「THE GUARDIAN」の記事を眺めては溜息をつく日々だったのだが、7月号の九十九電機の広告を見て辛抱たまらん状態となり、父にねだって買ってもらった。何も買い与えない親だったがこれだけは買ってくれた。夏休みのことだった。
ページの上の端に「ラジオセンターアメヨコビル3F 〜2Fのオーディオから入る」という父の字のメモ書きが!! あぅあぅ。


「あぅあぅ」ってのになにか涙が。。 「北の国から」の泥の付いた一万円札のエピソードみたいだ

そういえば、私も中一の頃NHKの「マイコン入門」というテレビ番組を見てマイコンに興味を持ち、本屋でASCII など立ち読みし始めたのだっけ。
PC8001 が168,000円、 PC8801が228,000円ととても手の届くものじゃなかったんだ。当時大船にはマイコンショップなんてものはなくて、休みの日に小遣いを使って秋葉原まで往復してビットインなどでベーマガのプログラムを入力して遊んでいたっけ。
家でノートにBASICでプログラムを書いて頭の中で実行している日々でしたなあ。

一年ぐらい経って富士通から FM-7 というマイコンがでたのだった。前バージョンのFM-8 の倍速で価格が半額という画期的なもので当時の中高生に人気だったなあ。 無理言って父親に買ってもらったっけ。秋葉原ヤマギワテクニカだった。 まだ秋葉原が家電の街だった頃でした。マイコンも新興勢力の一つで、「萌えの街」になるまであと15年ぐらいかかるころ。

まあ、このあとはBASICでいろいろなプログラムを作ったりしたなあ。
マシン語には何度も挑戦しようとコード表みながらハンドアセンブルをしていたのだけど、ほとんどまともに動かなくて、いつのまにか挫折。。。><。
このあたりは高校生でI/Oに記事を書いていた高木さんとの差が付いてしまっているところだけど。。


当時ASCIIに連載していた電通大砂川秀樹先生の「ダートマスからの脱出」など読んで、大学では情報工学を学ぼう。。。 なんて漠然と考えはじめていたのだったな。

まあ、そんなことで現在は高木先生の足下にも及びませんが出発点が一緒なのでなにやら親近感を抱きました。


それにしても懐かしいなあ。 今の中学生にとって将来の進路を決めるような原体験ってなんだろう。。 意外と「ニコニコ動画でMAD作ってコメントもらってうれしかった」なんてのがあるのかなあ